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私とロシア Я и россия

東京ロシア語学院の学生です。

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全国ロシア語コンクール優勝まで④

こちらが、初級部門優勝の景品。ローズヒップシロップ、欲しかったから嬉しい。”カラマーゾフの兄弟”のCDとか、黒パンも嬉しい。



図書券はロシア語勉強の本を買います。



そしてメダル。学院に差し上げたい。


| 全国コンクール 2019.6 | 23:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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全国ロシア語コンクール優勝まで③

私の通う東京ロシア語学院は、日本で唯一のロシア語専門学校です。学院に興味を持ってくださる方に少しでも情報をお知らせしたく、エピソードを紹介いたします。

※関係者の方で不快に思われる方がいらっしゃいましたら削除いたしますので、お知らせください。

少し戻りますが、私はスピーチを終えた後、来賓である日本ユーラシア協会会長からお声かけをいただきました。

「君のスピーチは素晴らしかった。」

テーマは平和について語ったもので、私は正月と、(昨年は行ってないのですが)終戦記念日に休みを取って靖国神社に参拝しています。遊就館に何度も足を運び、涙し、歴史を学びます。祀られる方々の尊い犠牲があって、日本の平和があると思うからです。感謝し敬い続け、この時代を生きたいのです。

日本における第二次世界大戦の犠牲者は320万人です。1941年の人口が概算で7200万人(総務省統計局)とすると22%、およそ5人に1人が亡くなっている計算となります。つまり、ひと家族5人につき1人が犠牲となるわけです(その時代10人家族と言った方が正しいかもしれませんが)。ソ連ではおよそ8倍の2600万人が犠牲となりました。とんでもない数です。その時代を知る人々が今も生きている現代において、ソ連・ロシアの人々のお心は計り知れません。その私の想いを認められた気がして、とても嬉しかったです。お帰りになられる際にはこちらから握手を求め涙ぐんでました(照)。学院に入学し、最初の授業は発音教程。ガリーナ先生との初めての授業で、私たち生徒がその単語を言ったとき、先生は学ぶためであっても「бомба тот(ここに爆弾)」はあってはならないこと」と言い、とても心に残りました。国と民の考えは必ずしも一致しない。

さて、コンクールをご縁に日本ユーラシア協会を知って私は会員となりました。観たかった歌舞伎やコンサートチケットが安くなるし、学院生はそもそも会費が安い。新聞が読めることが最大の魅力と言われていたのですが、情報化社会の昨今、初めはあまり興味を惹かれませんでした。しかし読んでみるととても面白い。ロシアを学ぶなら、日ソ交友のユーラシア新聞は目を通しておきたいと思います。ユーラシア協会のときめきについては後ほど。

コンクールが終わった後すぐ、ようやく表情を変えて微笑んだ山内先生と喜びを分かち合い、ハイタッチ。「先生、本当に喜んでますかー?!」と聞いたら「喜ぶのが下手なんです」と。コンクールから3週間が経過していますが未だ忘れられない名言です。日本語としておかしくないけれど、私はそんな日本語初めて聞きました。後日、何かのキッカケにハイタッチの話をしたら、山内さんがそんなことしてくれたの!?と驚かれました。先生と長い付き合いのある皆さん、そんなに驚く?と驚いて笑って、先生を注意深く観察するようになり、少しだけ胸の内を知りました。これは私の勝利ではなく、先生の築き上げた作品の勝利ですよ!応援してくれた先輩方、友達、みんなありがとう!

そして私とイリヤは、ロシアからの国際電話でインタビューを受けました。取材前に学長がロシア語で会話し、もちろん聴き取れず。まさかこれがスプートニク日本の記者さんからだとは思っていませんでしたし、その時の私には、内容など完全に上の空。早々に電話取材を終え、控室であり懇親会場へ向かいました。2年生のヨシフは私に日本語を使ってくれなくなったし、本科(昼間)の同級生ミーシャと会話し、ほかの出場者と会話する山内先生と「よく間に合った(暗唱)」と笑いあい、そっと会場を抜け、事務局に挨拶。いつメンと学長が居て、とても厳しく採点したよ!とお声かけいただきました。それは光栄です、私はとても厳しい採点からの1位なのですから!先生がどこに減点したかとても興味があり、お伺いすると丁寧に答えてくださいました。そして採点箇所の多さにも驚きました。さすが、ロシア人から”あの人は完全にロシア人の発音”と言われる人の持つ耳。

次の日は普通に授業があったので、いつも通りに会社へ行き、同じように学院へ行くと、コンクール結果が掲示板に貼り出されていました。そのポスターに事務局からの愛を感じました。表立って言わずとも、ものすごく喜んでくれている。「Я(私が)」ではなく、「Мы(私たちが)」ですからね!長々と書きましたが、これが第48回全国ロシア語コンクールの私の気持ちです。

反省は、のちの出来事。

| 全国コンクール 2019.6 | 22:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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全国ロシア語コンクール優勝まで②

私の通う東京ロシア語学院は、日本で唯一のロシア語専門学校です。学院に興味を持ってくださる方に少しでも情報をお知らせしたく、エピソードを紹介いたします。

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全国ロシア語コンクール 当日

少し早めに起きて着替えてメイクをしました。髪型がなかなか決まらず時間がかかり、最終的にはまとめ髪に決定。コンクールの服装について学院の先輩であるイリヤに相談をしたら「僕は普段着で行きますが優勝者はスーツを着てくる人が多いです」と教えてくれたので、予定通りスーツを着用し、ロシアらしく華やかにするため、スーツにネクタイをし、網タイツを履きました。メイクはDiorのクリスマス限定コスメでキラキラを加えました。

経堂までの道のりでは、やはりガリーナ先生の朗読を聞き続けました。マナーが悪いことなど承知の上、独り言をロシア語で話し続けることが大変奇異であり不快に思われることは解っていたけれど、コンクールまでの3日間、私は職場の昼休み、トイレ、バスの中、学校まで、自宅まで、スポーツジムの浴場など、どこでもつぶやき続けました。仕事8時間、学校2時間、睡眠8時間+α、概算6時間×3日の中でどれだけ練習できるかわからなかったので、咳か、スピーチか、私のスキマ時間のほとんどを費やしていました。コンクールまで時間が無かったので。

応援に来てくれた友達と経堂のマックで待ち合わせして、学院へ。バザー併設のため1階は混雑しており、2階へ上がって山内先生に最終チェックをしてもらおうと事務局へ声をかけたら、山内先生はお取込み中。3階の控室へ行くと、強敵の高校生がネイティブ講師と練習をしていました。・・・敵わないかもしれない。不安が襲いかかり、控室を出て、開催まで事務局付近でウロウロしていました。すると佐川先生が現れ、屋上でずっと練習してたから暑い!と言っていました。コンクール後、これでようやく眠れるわ、と言っていたことを知るのは数週間後。コンクールのパンフレットを見て、どれも良い内容が書かれていることにまた自信喪失。読むの止めよう。出場者席に早めに座り、会場をぼんやりと眺めていました。山内先生が司会進行役なら、お立場上話すことは無理だな。代わりと言ってはなんですが、佐川先生も吉見先生も卒業生も皆が観客席に、司会は学院2年生の先輩、事務局の皆もいよいよスピーチを聴いてくれる。そして日本ユーラシア協会の副理事長さんが声をかけてくれて緊張がほぐれていきました。優しい眼差しに救われました。発表が始まってからはずっと”私は出来る、私は出来る””私は負けない”と言い聞かせていました。

自分の番が来たとき、”私は待ち望んでいたのよ、皆さんどうぞ私のスピーチを聴いて!”と思えるほど自己顕示欲を高めました。山内先生の添削、翻訳センスを信じていましたから。しかしいざスピーチをすると手が震えていて、頭の中は真っ白に。本番では、練習以上の力は絶対に出ないことを思い知らされました。直せると思っていたはずの単語はいつも通り減点される発音に戻り、最初の一文節で「(大学)」言えなかったし。あっ、しまったと焦ったとき、吉見先生たちが笑っているように見えて、もういいや、楽しめればと開き直りました。10文節目のシリアスな場面に変わるところで間を置きましょうと山内先生からアドバイスされたことを忘れず先生の顔を見たら絶対に目を合わせてくれない。メンタルケア無し!と思いつつ、余裕をもって、審査員の目を思いっきり見ながら「私は(略)ロシア人が心を込めて平和を求めていることを知りました。」と言いました。観客席にはチラホラとロシア人が居たので、最後の文章「ロシア人の平和を愛する心を知ってもらえたら良いでしょう」を伝え、終了。席に戻った後は、これ以上もこれ以下もないので、出場者のスピーチを聴いていました。不安を払拭させるように、私は1位となって嬉しいと、予め山内先生に聞いておいたロシア語を覚えることに努めました。そこに出場者に対する思いやりはありませんでした。休憩になって、先輩からLINEで「私はあなたがすでに上手にロシア語を話すことに驚いた。発音がいい」とメッセージが届きました。涙が出そうなほど嬉しかったです。あなたがライバルだったら敵わなかったけどね(笑)。

どなたも素晴らしい発表を聴き終え、審査待ちの間は先輩方と過ごし、結果発表。奨励賞、努力賞の後、初級部門の発表があり、めでたく優勝。3位から1位の発表でドキドキし、イリヤの優勝が決まった時、涙が出ました。普段の彼は誰からも努力を見せないと言われていたのに、このコンクールでは才能と努力を併せて勝ち取った優勝。なんて素晴らしく美しいのだろうと感動しました。そして今まで無かった学院のW優勝!!あれだけの猛者を打ち倒した彼の実力を見ました。

かつて、フィギアスケートの浅田真央選手とキムヨナ選手が競ったとき、浅田選手は演技の完成にこだわり、キムヨナ選手は韓国へ金メダルを持ち帰ることを決め、結果としてキムヨナ選手が金メダルを取りました。私はどうしても学院に優勝をもたらしたかったので、自分の能力を把握し優勝のための作業をしただけ。イリヤの優勝とは性質が異なることを知っています。私は美学を捨てて優勝をつかんだから辛くなってしまい、先生に賞状もメダルも図書券も全部差し上げたいと思ったけれど悲しむだろうから止めました。

優勝がくれた新しい道に感謝して、早く勝者に相応しい実力を身に付けます。

つづく。

| 全国コンクール 2019.6 | 09:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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全国ロシア語コンクール優勝まで①

私の通う東京ロシア語学院は、日本で唯一のロシア語専門学校です。学院に興味を持ってくださる方に少しでも情報をお知らせしたく、エピソードを紹介いたします。

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私は、全国ロシア語コンクールの初級部門で優勝しました。

絶対に優勝したい!と思う気持ちが強かったのは間違いないのですが、私は優勝の必要条件を満たしただけで十分条件を満たしていたわけではありません。必要条件とは、スピーチ内容を全て暗記していたこと。私には優勝に相応しいだけの学力もなかったし、この優勝は私だけのものではない。自分の中での十分条件とは、誠実さと実力でしょう。山内先生と2人で取った、あるいは皆のバックアップで取れた優勝でした。

東京ロシア語学院は、全国ロシア語コンクール主催でもあるため、コンクール前の事務局は学生とある程度の距離を取ります。スピーチ内容の話はしないし出来ないし、審査員でもある学長とは顔を合わせることもありません。名誉あるコンクールをとても大切にしているのです。そのため、講師とトレーニングをします。

私の優勝までの過程を書き出してみます。

①申し込み

申込期限が5月27日(月)、ロシア語検定の次の日でした。私は4月末からずっと体調不良で、GWも土日もほとんど寝ていたし、検定の勉強でいっぱいいっぱいでした。授業の内容を覚えてなくて注意されたし、かなり不真面目。そしてコンクールの申し込みは滑り込み。原稿のことなど何も考えていなかったので、タッキー先生に相談したあと、帰宅路の経堂→新宿間でリサーチして、新宿→神保町間で走り書きをして、神保町→自宅までで最終チェック。自宅から山内先生に和文・露文(翻訳機)の内容をメールして、添削お願いします!と頼む無茶ぶり。自信があったのは事務処理能力だけ。山内先生から戻ってきた露文をそのまま日本ユーラシア協会に送り、和文すぐ送ります・・・あ、文字数合わない・・・直ちにワードで修正し、再送。コンクールの仕組みが何も分からなかったので、皆さんを散々振り回す結果となりました。反省。

②聞き込み

ネイティブの朗読をSNSで依頼しようと思っていたら、山内先生がネイティブ講師に依頼してくれていました。5月30日ガリーナ先生の授業で音声を録音。i-phoneで直接録音したら、全然聞き取れない・・・1,ゆっくり、2,通常と、2回も録音させてもらったのに水の泡。とれていませんでしたって言えない。そのことを相談したら、次の日メールでガリーナ先生の音声が送られてきました。6月1日は学院の健康診断で経堂へ。取り込み方がよくわからなくて、i-tunesの使い方を先輩に相談したことを覚えています。ヘッドフォン購入が同日、6月2日(日)に8~10時間くらい、掃除したり洗濯したりブログ書いたりしながら、ずっと聞きました。

素人の浅知恵ですが、私が行ったのは音を聴覚野で留める、左脳ではなく右脳を使ったのだと思います。何というか、音楽をかけながら勉強してたような心地良さだったので、言語の暗記にしなかった。どうせ側坐核(やる気の脳と呼ばれる部分)でストレスと判断されると長く続かない。ラスト3日での暗唱がクリア出来たのは、この時の下地が大きかったと思います。

音は、空気の振動であり、耳から入った空気振動が鼓膜を震わせ、耳小骨→蝸牛→電気信号に変換され、その情報は延髄→視床を通って大脳の聴覚野に伝達され、言語はこの先に言語野へ情報として伝達される(面白いほどよくわかる脳のしくみ 高島明彦・監修)。

③練習

咳がひどく、朗読を聴けない日々が続きました。延髄はくしゃみや咳の働きに関係するそうなので、体調不良時に聴くと疲れてしまうのでしょうか。6月7日(金)は会社も授業も休み、熱っぽくて動けなかったことを覚えています。そんな時に困るのは、食事です。作ったり、買いに行ったりも出来なくて、何も食べられないからますます弱っていました。土日もずっと寝ていました。

さらにメールを見返してみると、6月12日(水)山内先生と、6月13日(木)ガリーナ先生の授業で、6月14日(金)早退してロマン先生・山内先生・(一般部門で優勝した)イリヤの4人と、授業前の佐川先生と、6月15日(土)山内先生と、佐川先生や3年生たちと、卒業生先輩たちと。以下、日記。

6月11日 山内先生へのメール内容を一部抜粋

自身で確認したところ、15文節中5文節まで暗記し、朗読のスピードは2分17秒です。

つまり、レジュメを見ないと分からない。学院へ行くとイリヤを見かけ授業後も2~3時間ほど練習していることを知る。木曜も変わらずプラトー(一時的な停滞状態)。いや、そもそも何もやってないのに言わないか。出場者みんな欠場になれば…と思うくらい何も出来ず、苦しい。

6月14日 ロマン先生たちと

仕事を急遽15時に早退し、イリヤのリハーサルに加えてもらう。2文節に間違い。ロマン先生バージョンの朗読も録音させてもらう。単調で眠くなってしまうから感情をこめなさいとアドバイスをもらう。イリヤに出だしが入りやすい(簡単なロシア語のため、聞きやすい)と褒められ自信がつく。山内先生から、「в университете 」と「в средней」の発音が出来ていないと指摘される。佐川先生から、「друг」「интересуется」を指摘される。佐川先生には一切レジュメを見せなかった(私のロシア語が聞き取れるか知りたかった)のに、無くても暗記し、答えが出せてすごい。私なら日本語でもできない。他の先生方にはなかったので、とても新鮮。奮発して回転ずしで夕飯を食べた。久しぶりにちゃんとごはんを食べられて良かった。19時~21時まで授業を受けたが、体調が悪くて覚えていない。

6月15日 山内先生たちと

体調不良で起きることが出来ない。朝、トイレに行くと1週間遅れて生理がきた。普段は遅れないし計算していたのに、食事をしなかったせいか、緊張のせいか、わからない。いつも以上に重く、腹痛、眠気、吐き気までひどい。当日じゃないだけマシか。山内先生は男性指導者なので言い出せず、約束の時間に遅れる。理由を言ったら固まりそうだから止めておこう。「в университете(大学で)」「в средней школе(中学で)」は今日も出来なかった。山内先生が舌の動きと口の形を教えてくれた(誤解の無いよう補足すると、山内先生はロシア語音声学が専門のため、発音の説明が誰よりも巧い)。私は大変恥ずかしがりなので口の動きを見つめられると照れ笑いして言えなくなるけれど、山内先生は私がどんなに見つめ続けても照れ笑いしないからすごい。コンクールの強敵である高校生は何年勉強していても初学者として出場できるルールとなっており、大変耳が良いからこちらは演技力で勝負しましょうと提案される。暗記しなければ私は入賞すら難しいとも。自宅から経堂までの道のりで、この日はロマン先生の感情入魂スピーチを聞いていた。

山内先生ご帰宅のため、続きは3年生の練習に混ぜてもらった(担任は佐川先生)。イリヤのスピーチは既に仕上がっているのに、まだまだ完成度を上げるようだ。生徒たちも頑張っているけれど、佐川先生の愛情も深い。ご本人は卑下するけど生徒たちから慕われ優しさも人柄も見えてきて胸がいっぱいになる。仕事感半端ない山内先生は、私(生徒)を愛しているのだろうか??→後日知ったエピソードは改めて書きます。

事務局には相談できないので(しても答えてくれない)、ユーラシア協会バザーに来ていた卒業生を捕まえて強引にスピーチを聞いてもらった。嫌な顔ひとつせず、長い時間ずっと聞いてくれた先輩方に感謝。学院出身者は、後輩への愛がある。

20時頃に学院を出て自宅へ。実家の父が近くに来ていたけれど、食事にも参加せず。おとーさま、明日父の日なのにゴメン。どうせ家に帰っても作らないし、食材もないので、1人で韓国料理レストランへ。スンドゥブで身体を充分温めよう。お風呂入るのも辛いけど、シャワーを浴び、湯舟に浸かった。体調を整えるのに精一杯で、美容にまで気が回らなかった。

つづく。


| 全国コンクール 2019.6 | 14:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ロシア語発音の難しさ

私の通う東京ロシア語学院は、日本で唯一のロシア語専門学校です。学院に興味を持ってくださる方に少しでも情報をお知らせしたく、エピソードを紹介いたします。

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木曜から咳がひどくなり、昨日はいよいよ仕事も学校もお休みしてしまいました。身体は不健康ながら、心は元気です。ロシア語と言う目標があるから割と頑張ってます。幸せだな。

いつものBluetooth イヤフォンだと聞き辛いので、全国ロシア語コンクールのため奮発してヘッドフォンを買いました。ノイズキャンセラー付 ¥8,000- ほど。使い心地良く、気に入っています。

@1週間でコンクール。しかし私の仕上がりはイマイチ。C の音が聞き取れず、発音も出来なくて難航しています。私たち本科生は初めの授業で発音を学ぶのですが、先生はこんな話をしてくださいました。

北野武(ビートたけし)はロシアでも知られており、たけスィーと呼ばれていましたが、本人は「私をたけスィと呼ばないでください、私はたけシです」と言ったそうです。 Таке си ではなく、Таке щи ですと。

では先生、ジャイアンは?
Даи-ман? Жаи-ан? Заи-ан?

Даи-ан だと思います、と答えてくれました。ジに相当する音はいっぱいあるのに、Дは日本人に馴染みやすい音なんですよね。面白くて、しばらくЖ-З-Д について考えていたな。まだ2ヶ月なのに懐かしく感じます。

さて、明日から頑張ろう。

| 全国コンクール 2019.6 | 17:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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