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私とロシア Я и россия

東京ロシア語学院の学生です。

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ウラジオストクの軍港 The seaport of Vladivostok Морской порт Владивостока

ロシアの一番東にあるウラジオストク。「ウラジオストク=東方を征服せよ」の意味らしい。

ソビエト連邦が崩壊し、再びロシアへ。ソビエト連邦時代には世界全土の1/6を支配し、ロシアとなった今でも世界全土の1/8と、広大な国土を持っています。しかしほとんどの海は凍ってしまい、一年の内でも短い期間しか機能しません。飛行機の無い時代、船が主流だった時代には凍らずに使える海がどんなに欲しかったことでしょう。トルコとの長い戦争、アジア侵略。日本とも未だ北方領土問題で対立している理由も、日本人が考える以上にロシアにとっては深刻でしょう。

だが、しかし! 最東に位置する都市、ウラジオストクは凍っていません。2月でもこの通り。



日本人の知るウラジオストクはどのようなものでしょうか? 「軍港」 くらいしか思い浮かばない人は多いのではないでしょうか。かく言う私もおろしあに憧れつつ、急遽行くこととなったウラジオストクにはイメージが湧きませんでした。日露戦争のバルチック艦隊、太平洋艦隊、まあ最東にある港町のイメージですよね。静止画ではわかりづらいのですが、港ではちゃんと船が走っていました。



バッチリ映像にも収めて帰ってきましたので、少しづつUPしていきます。

ソビエト連邦時代には規制が厳しくて大変だったそうですが、今はウラジオストク空港やウラジオストク駅を撮影しても、そこまで厳しくありません。怒られたのは、女性警官に手を振りながらビデオカメラを回していた時だけです(反省)。

このウラジオストク駅には夢がありました。この鉄道からヨーロッパに行ける・・・とガイドブックの説明文そのままの感想と、可愛いお土産屋さん、大きなマトリョーシカ人形の像、ほとんどがロシア原産と言われる琥珀、凍らない港。

伝えたいことがいっぱいです。

~Wikipediaより引用~
ロシア語名、ウラジヴォストークで、「ヴォストーク」は「東」を意味し、「ヴラジ」は「領有・支配する、物件を自由に使う、制御する」を意味する動詞「владеть (ヴラヂェーチ)」から来ている。 この名称は「東方を支配する町」を意味するが、その通りウラジオストクはロシアの極東政策の拠点となる軍事・商業都市であった。(以下、続きにて)



出典:ウラジオストク - Wikipedia

ウラジオストク(ロシア語:Владивосто́кヴラヂヴァストーク、IPA:[vlədʲɪvɐˈstok]、ru-Vladivostok.ogg 発音[ヘルプ/ファイル];ラテン文字表記の例: Vladivostok;漢語: 海参崴)はロシアの極東部に位置する都市で、沿海地方(プリモールスキイ地方 Приморский край)の州都である。ロシア語名はウラジヴォストーク(ヴラジヴォストーク、ヴラヂヴォストークなど)で、「ヴォストーク」は「東」を意味し、「ヴラジ-」は「領有・支配する、物件を自由に使う、制御する」を意味する動詞「владеть (ヴラヂェーチ)」から来ている。この名称は「東方を支配する町」を意味するが、その通りウラジオストクはロシアの極東政策の拠点となる軍事・商業都市であった。ロシア海軍の太平洋艦隊の基地が置かれる軍港都市。人口は594,701人(2002年国勢調査)。丘陵上の市街に囲まれるようにして金角湾が半島に切れ込んでおり、天然の良港になっている。街の中心部は金角湾の奥にある。南には東ボスポラス海峡をはさんで軍用地や保養所などのあるルースキー島が浮かぶ。

かつては立ち入りが制限されていた!ソビエト連邦時代の1938年には沿海州を改組した沿海地方の州都となるとともに軍港として重視され、1958年からソ連の崩壊する1991年までごく一部を除いて外国人の居住と、ソ連国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だった。その間、東のナホトカが外国貿易港の機能を代行していた。ソ連崩壊後は、閉鎖都市指定が解除された。民間旅客航空会社のウラジオストク航空が誕生し、日本の新潟空港、富山空港、関西国際空港、北九州空港、成田国際空港との間に定期便が就航していたが、2012年現在、成田国際空港路線を除き運休している。2012年9月にはルースキー島でロシアAPECが開催され、首脳会議の会場となった。ロシア政府はAPEC開催に備える形で、ルースキー島連絡橋の建設やウラジオストク空港の改修を行うなど、ウラジオストクに対して総額約6000億ルーブル(1兆6500億円)の莫大な投資を実施した。特にルースキー島はリゾート化するために大規模な開発が行われており、APEC終了後には極東連邦大学が移転してきている。ロシア人とウクライナ人が大多数を占めるものの、ベラルーシ人やアルメニア人などももいる。その他、近年の建設ラッシュに合わせ、北朝鮮や中央アジア各地からの労働者が建設業などの携わっている。かつては日本人が6,000人ほど在住していたが、2011年現在、外務省へ届け出ている在留邦人は104人に過ぎない。日本との地理的な近さ(東京からはソウルよりも近い)などから日本語教育が非常に盛んであり、市内の各大学や高校などでは日本語教育が行われている。また、同時にロシア語を学ぶ日本人留学生も少なくない。主な産業は造船業と漁業、軍港関連産業である。ソ連崩壊後は日本などからの中古車輸入が盛んとなり、極東における一大市場となっている。経済的にはインフラ整備の遅れが問題になっていたが、2012年のAPEC開催が決まったことで大規模な公共事業が実施され、急速に整備が進んだ。現在は自動車産業を積極的に誘致している。2009年12月にソラーズがロシア極東地区初の自動車工場として操業を開始したほか、マツダやトヨタ自動車など外資系メーカーの進出も進んでいる。また、ガスプロムと日系企業によるLNG生産プラントの建設が計画されている。

| Путешествие ロシア旅行記 2018.02 | 09:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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